和心会松南病院被害者の会

松本市笹部にある松南病院について

松南病院というところ

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今日、新しく変えた病院の精神科の2回目の診察があった。医師いわく「統合失調症ではなく、発達系の特徴」とのことだった。スーパー救急も備えた大きな病院の、思春期専門の医師による診断だ(その後ストラテラが処方され、診断が確定した)。

じゃあ、今まで入院通院してした松南病院の診察はなんだったのか。統合失調症だと診断し、退院もさせず、患者にあるはずもない「病識」を求めてきたあの病院はなにをしていたのか。


入院していたのは松本市笹部にある松南病院の児童・思春期精神科病棟だ。この病棟は閉鎖病棟で、自由に外に出ることができない。

入院のきっかけとなったのはオーバードースによる自殺未遂だ。総合病院で応急処置をしてもらった後に転院、当時は16歳だった児童・思春期精神科病棟への入院となった。精神科の診察や入院は初めてだった。

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訳も分からないまま救急車で運ばれ、6人部屋の病室に”入院”した。カーテンなどの仕切りはなく、隣の人が何をしているかまで丸わかりだった。そんな病室で私はただ点滴を受けていた。

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看護師が病室に来て「入院に際してのお知らせ」と入院同意書を持ってきて、入院同意書と書くように言った。私は数日間の入院だろうと思い(その時は精神科の入院というものをよく知らなかった)、軽い気持ちでサインをした。

しばらくすると病室に担当医である院長が診察に来た。「人の視線怖いよね?」「何か命令するような声が聞こえる?」――。「別に」「聞こえない」と答えると院長は立ち去った。わずか2分のスピード診察だった。

その日からジプレキサ10mgが処方され、じきに20mgに増量された。アカシジアが酷く出たので看護師に相談すると、「次の診察で先生に相談してみて」。


この病院は、医師の診察が1週間に一度しかなかった。

次の診察でアカシジアが出たことを伝えると、薬がロナセン8mgに変更になった。

結局ロナセンでもアカシジアは変わらず、その次、つまりさらに一週間後の診察でアキネトンが処方され、それでも落ち着かずさらに一週間後の診察でアーテンが追加で処方されようやく落ち着いた。

向精神病薬を服薬して、気分が改善されることはなかった。


この辺に来て、私はなかなか退院できないことに気がついた。医師は退院してもいいと言ってくれないし、退院の目安を尋ねても「まだ」と答えるばかり。なので私は魔法の言葉「退院請求」を使うことにした。

入院時にもらった「入院に際してのお知らせ」には

あなたの入院は任意入院でありますので、あなたの退院の申し出により退院できます。ただし、精神保健指定医があなたを診断し、必要があると認めた時には、入院を継続していただくことがあります。その際には、入院継続の措置をとることについて、あなたに説明いたします。

との記載がある。自由に退院していいらしいのだ。なので、その次の診察時に退院したいとぶつけてみた。そしたら

精神科医「うーんまだ」

えっ一蹴!? 「書面にて十分な説明をしたうえで72時間に限り退院を制限することがあります」とはなんだったのか。

もう少し期間をあけてから言ってみると

精神科医「あんまり退院したい退院したい言うようなら、医療保護入院に切り替えるよ?」

結局退院の申し出が受け入れられることはなかった


外出は1ヶ月、外泊は3ヶ月認められなかった。毎日のシャワーは一日10分、週2の風呂は一回15分の時間制限があった。風呂には男性患者の時間でも女性看護職員が付き添いだった。携帯電話の使用は禁止で、電話はピンク電話でするしかなかった。当然ネットは禁止だった。診断名を教えてくれることはなかった。

この病院は病状がある程度回復し、学校に通えるような状態になっても病院から学校に通わせて、退院させることはない。学習障害で入院している人やアスペルガーADHDで入院している人を見たが、特に入院する必要性を感じなかった。統合失調症で1年以上入院している高校生の人もいたが、学校にも通えていたしやはり入院する必要性は感じなかった。


実はジプレキサでもロナセンでも乳汁分泌が酷く、垂れるように出ていたのだが誰にも相談できなかった。血液検査はしていたので、プロラクチンの値を見てくれれば分かったと思うのだが。

打ち明けられなかったのは私が恥ずかしがり屋だったからというのもあるのかもしれないが、診察の形態にも問題があると思う。病院職員が頻繁に出入りするナースステーションの中で、パーテーションも設けずに行うのだ。さらに隣の病室に入院していた患者いわく、隣の病室に話が筒抜け(この病室は特殊で、ナースステーションとドアでつながっている)だったという。


毎日ラジオ体操があって、作業療法もある。作業療法士が独語の症状が出ている患者を指さして、私に「あれって症状ですよね」と笑いながら話しかけてきたのが印象的だった。


いろいろあって退院した。その時処方されていた薬がこれだ。外来で診てもらうことになった。手首を切る自傷行為に走ったらセレネースが処方されたこともある。

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その後エビリファイに変更するよう希望するとエビリファイに薬を変更してくれた。

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退院して4ヶ月後、まあ結局いろいろあってまた自殺未遂するのだが、服薬するとやる気がでなくなることから結局未遂後に服薬をやめていた。診察でそのことを院長に伝えると、「社会とずれていく」「脳が萎縮していく」と強い口調で言われた。

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医師の方針に納得できなくなり、病院を変えたら、発達系だと診断された。転院後は怯えることなく、医師に自分の本当の気持ちを話すことができている。松南病院では、知能検査やアスペルガーの検査は一切なかったし、心理検査も1回だけ、簡単なアンケートのような用紙に記入するのが一種類だけあっただけだった。心理士と話す機会もなかった。

松南病院をやめ、別の精神科に移った児童・思春期精神科病棟の患者だった人を知っている。その人は松南病院では統合失調症の診断でロナセンを処方されていたが、現在はリフレックスのみを処方されている。